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宮川町の歴史 その1

この地は、鳥辺野に隣接する無常地の一部を形成し、九世紀中ごろには国家鎮護のため珍皇寺が創建された。 この珍皇寺には、「古昔物語集」をはじめ古くから数々の伝承が付随している。
次いで十二世紀には、禅宗山門兼学の寺として建仁寺が建てられ、その頃より寺院地としての性格を強くしていった。建仁寺建立の栄西が“茶”を初めて日本に持ち込み、茶の湯文化発展へと継承されていくのである。

江戸時代に入って、当地区に葬場があったことから祇園町の新地開発とほぼ同時期に宮川町筋にも町並みが成立をみている。 そしてこの宮川町筋を中心とする茶屋営業が許可されたのが宝暦元年1751年のことであった。この営業許可がこの町筋の性格を強めていき遊所としての存在があった。

当時の町並みを形成していた職業がたくさんあったが、今はその匠を継承している店構えを当地区で見る事は少なくなっている。

貸し物や、指物屋、道具屋、あめや、縄屋、木細工屋、やうじや、表具師、煮物渡世、仕立物渡世、八百や、料理渡世、仕立物渡世、筆師、医師、油しぼり職、等など暮しをになう匠の生活があった。

宮川町の歌舞練場が開場

明治29年のことである。落成式は12月20日ごろと言われる。
京おどりが例年八重桜が満面をたたえる4月初旬~中旬にかけて行われており、芸妓さん、舞妓さんがよく見られる通りになっている。

町名の起源と由来

宮川は、鴨川の一名である。
宮川町一丁目は四条通(現在の南座)より起算された。寛文8年洪水のために前岸に石垣を築いた事により、東石垣町とも略して東石とも呼ばれた。
ちなみに、これに対し対岸の西側を西石垣町と現在でも呼ばれている。ニ丁目以降は団栗通より南へ下った地区取りとなっている。

引用資料:東寺百合文庫、祇園社家記録、萩野家文書、古昔物語集

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