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宮川町の歴史 その2

宮川町通りと舞妓変身処

花街・宮川町(宮川筋)には、誰でもが舞妓本格体験ができる処が3箇所出来ている。
舞妓と言えば、ダラリの帯に着物、小物から髪飾り、おこぼと呼ばれる履物など・・それも舞妓になりたては地毛を「割しのぶ」に結う。どなたでも舞妓姿に変身できるが、地毛で髪結いが出来る若人が少ないのでカツラを使う。それ以外は、外見はホンモノと変わらない。でも花街に親しむ町内住人から見ると、プロの化粧並に決めるのは、さすがに難しい様だ。そこで、ばればれという感じである。
それでも・・・青春時代にやってみたい事―舞妓姿は、女性ならきっとどなたもが想いを馳せそうだ。舞妓衣装をつけ、はんなりと京町家に歩をすすめ、楽しめるときが花街にある。

その舞妓と芸妓がでる師走(12月)の京を飾る南座(宮川町1丁目)の顔見世興行が年中行事となっている。舞台の東側に祇園甲部、西は先斗町。入れ替わって宮川町の妓が並ぶ。それはそれは、華やかで芸に鍛え抜かれた日本文化の美である。

といっても、華やかにみえる舞妓の舞台裏は、たいへんである。
舞妓のマゲ飾りだけをみても、正月べっこう、二月ウメ、三月サクラ、四月フジ、五月アヤメ、六月ボタン・柳、七月はキンキラのお祭りというカンザシ、八月ススキ、九月キク、十月モミジ、十一月は何故か不定、十二月まねきとなっている。なお、正月には稲穂を付ける。
京ならではの、季節感を大切にしてきた伝統でもある。
舞台に出るまでには、舞い、清元、小唄、お茶のお稽古、しきたりに普段からの立ち振る舞いと修行の連続である。心を感じてもらう彼女たちの修行は、庶民感覚からは見えない程にとても厳しい。

舞妓にも常着がある。宮川町の歴史その1の写真がそのイメージである。
夏や稽古の時は浴衣だが、他は季節に合わせて長袖の着物、帯は“おたいこ”に決っている。マゲはつぶすわけにはいかないので、枕は箱枕。うっかり枕を外すと髪は無残にくずれて、髪結いにはしらなければならない。もちろん、スカート,ジーンズにブラウスなど洋服の時もあるが、通常はちょいちい着がきまりである。

舞妓が芸妓になる襟替え

およそ20歳を過ぎた頃の年になると舞妓が芸妓になる“”エリかえ“”』の時が来る。町内で元芸妓さんから伺うと芸妓になると赤い襟を着けていたのが、白い唐襟に変わるのが語源という。「さっこう」という髪を結い黒紋付でお座敷に上る。舞妓である最後の日にごひいきやお家の人たちの前で「黒髪」という舞を披露するが常である。最後の最後は、地毛で結っていた髪に刀をいれ髪を解き、舞妓に別れを告げる。舞妓と呼ばれることのなくなった寂しさと嬉しさが混ざり合った感激であったと、言われていたのがとても印象に残っている。

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